子どもの言い間違い

子どもの言い間違いが好きだ。
「そんな発想はなかった」と、いつも感心する。
17になる娘は2才のころ、「お魚さん」を「お釈迦しゃん」と言っていた。
お魚さんなんて、見方を変えればお釈迦様みたいに有難い存在だ。
娘はまるで天使みたいな子だが、今は離れて暮らしている。
閑話休題。
16になった姪っ子が凄い。
彼女は生まれて初めてハゲの人を見たとき、「あの人、頭が裸足」と言った。
人体的にはまるで逆の箇所を比喩に用いるとは、と感服した。
彼女が超難関の高校を3校受験し3校とも合格した折には、合格のお祝いにウォークマンをプレゼントした。
「(音が)奥の方まで聴こえる」と彼女は感激していた。
一般的には「(音の)解像度が高い」とか、「音質が良い」とか言うものと思っていたが、音に奥行きがあることを彼女は証明したのだ。
そういえば、僕は子供のころ、「波浪注意報」を「ハロー注意報」だと本気で思っていた。
「なんで(いつでも正義なはずの)挨拶を注意する必要があるんだろう」と長い間、その疑問を誰にも打ち明けずに過ごした。
昔のテレビは今みたいに喋ることがなんでもかんでもテロップで映し出されることもなく、わからないことがわからないままに過ぎ去ったのだ。
あのころが少し懐かしい。