『君たちはどう生きるか』2回目鑑賞

宮﨑駿さん10年ぶりの長編アニメーション映画『君たちはどう生きるか』2回目を鑑賞してきた。
いつもながら、宮﨑さんの作品には表の設定と裏の設定があるように思う。
表の設定は事前告知されていた通り、少年による冒険活劇だ。
少年が精神的に成長する物語。
いつもながらの圧倒的なクオリティに打ちのめされる。
そしてもう一方の設定はおそらく「クリエイター宮﨑駿の苦悩」だろう。
物語はこうだ。
彼は「アニメーション」という“塔”に吸い込まれ、主と出会う。
だが、搭の主の後継者は最期まで現れなかった。
さらに、あろうことか映画を鑑賞する人々に「生きることの素晴らしさ」を伝えるつもりが、内容が秀逸すぎる、美しすぎるが故に彼らはアニメーションの世界が現実の世界と信じきってしまったのだ。
人間はインコになってしまったのだろうか。
神のバランスを保っていた「積み木」は彼以外、とうとう積み上げることができなかった。
やがて積み木が崩れたとき、同時に塔の中の世界も崩れ去った。
塔の主(=宮﨑駿)の死とともに、スタジオジブリも死ぬことを示唆しているのだろう。
あるいは、塔の主は高畑勲を指しているのかもしれない。
そして主は、アニメーションでは平穏を築くことができなかったことを嘆いているようにも感じた。
ペリカンも同様、自身が生きる世を憂いていた。
「(私は)アニメーションに人生を捧げたが、こんな結末(現実)になってしまった。さて、君たちはどう生きるか」という宮﨑さん(高畑さん)の声が聴こえる。
主人公たちはギリギリでアニメーションの世界から脱出し、現実世界では幸せそうに見えた。
悪意に染まっていない石を否定しつつ、その欠片を無意識的に拾っていた少年。
ぶつけると血が流れる石のある世界を選びつつ、一握りの理想(希望)を持ち帰った少年。
「アニメなんか観てないで、現実を見よ」
「でもほんのちょっとでいいから、アニメの力も信じてよ」
――宮﨑さんから、宮﨑さんらしい、究極に洒落たメッセージを受け取ったように思う。
宮﨑さん、ありがとう。
次の作品も楽しみにしています。

後日談

宮﨑さんにとって「アニメ」との出会いはまさに「未知との遭遇」だったのだろう。 そしてそれは「空から降ってきたようなもの」だったに違いない。 アオサギは宮﨑さんをアニメーションの世界へいざなう鳥だ。 大人たちはみな「あの塔に近づいてはだめ」と言う。 それでも少年は「行かなくてはならないんだ」と言って塔へ向かった。 母親の死を受けとめる決心をしたのだ。